【ナレズシと魚醤の起源】川原町泉屋|岐阜伝統.鮎熟れ寿司.鮎うるか.郡上鮎等の通販・製造販売
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ナレズシと魚醤の起源

魚醤について

東アジア・モンスーン気候、稲作が盛んなメコン川流域のラオス・カンボジア・東北タイ一体は、石毛直道氏の言う『水田漁業』でもって米と魚(淡水魚)、内陸でとれる塩という食の基本を得て、その保存方法として発達したことから、ナレズシと魚醤の起源だと推測されております。(その上流、中国雲南地方という説もある)

まず、魚を塩漬けにして塩辛にすることから始まり、そのまま発酵・熟成して液体状になったモノやペースト状のモノが【魚醤】、塩漬けにごはんを加えて発酵・熟成させたモノが【ナレズシ】であります。<図1> ナレズシ・魚醤は<図2・3>のように印のホットスポトから東アジア一帯に伝播していったものと考えられます。

ナレズシは伝播の過程で、中国・朝鮮からは消滅しましたが、日本では琵琶湖の鮒寿しをはじめ、今でも食文化として成立しています。魚醤は中国・朝鮮・日本では、漁獲高が不安定な魚から、比較的生産が安定している穀物(豆・米・麦)からつくる穀醤(味噌・醤油)に替わり発展していきました。東南アジアは暑過ぎて醸造技術が成立できず、海の魚も含めた魚醤作りが続いているとも考えられます。

名称 分類 特徴・食べ方など
ショッツル 日本 魚醤油 原料としてハタハタの他、マイワシを使用していたとの説もある。
イシリ 日本 魚醤油 イシリ漬けやイシリ鍋に使う。イシル、エシリなど場所によって呼び方が異なる。
ニョック・マム ベトナム 魚醤油 日本の醤油感覚で使われる。
ナム・プラ- タイ 魚醤油 海産魚を原料とし、商品としての製造が中心。
カピ タイ 小エビ塩辛ペースト 濃厚なエビの匂いと旨みがある。日本の味噌のように用いる。
トラシ インドネシア 小エビ塩辛ペースト 加熱して、トウガラシ、タマネギなどを加えてつきつぶし、米飯にのせたり、生野菜に付けたりする食べ方が多い。
プラ・ホック カンボジア 塩辛/塩辛ペースト トンレサップ湖とトンレサップ川産の淡水魚が多く使われる。
ガピ ミャンマー 魚醤油 ガピとはミャンマーにおける魚醤の総称。中でも塩辛ペーストがよく使われる。
バゴォン フィリピン 塩辛/塩辛ペースト 生で野菜に付けたり、炒め物や煮物にも用いる。

魚醤は東アジア一帯の他では、古来ローマ時代にイタリアで作られていたイワシの魚醤「ガルム」がありました。しかし、どういうわけか歴史上から消えて、「アンチョビ」に形を変えて現代に伝えられております。ナレズシに関しては、東アジア一帯以外では同じようなモノを見つけることができません。

魚醤(塩辛)は朝鮮においては、アミエビ・イワシ・牡蠣などの魚介を塩辛にしてキムチの大切な調味料として、重宝されております。日本でいう塩辛は、「酒のアテ」という趣向のモノで、イカ・鰹・鮎など多くの魚介類で作られています。また、イシリ・ショッツルなどの魚醤は日本海側の一部の地域では今でも作られ、地域の伝統食の調味料として無くてはならないモノなのです。

魚醤は調味料として用いられる場合が多く、液体もしくはペースト状になるよう発酵・熟成されるので、小型の魚が用いられ、内臓ごともしくは内臓だけで作られる場合もあります。魚醤の場合は、魚の内臓が旨み成分としてだけでなくたんぱく質分解酵素となり、身を溶かしてペースト状にする役割を果たします。

それに対しナレズシは魚をそのまま食べるため、比較的大型の魚で作られ内臓は取り出します。ナレズシの場合は、逆に内臓のたんぱく質分解酵素が魚の身を溶かしてしまうことになり、魚を食すという本来の目的を果たせなくなるので、内臓を取ってから仕込みます。

ナレズシについて

ナレズシのメカニズム

  • ①米(ごはん)が発酵して乳酸を作り酸味を強くする。乳酸に弱い腐敗菌は増殖できないので、保存性がいい。
  • ②時間経過とともに魚のタンパク質はアミノ酸に変化し旨みが増す。
  • ③魚臭は、乳酸発酵時に活躍した酪酸菌によって分解されてなくなる。

日本のナレズシは独自に進化していった

紀元から1300年までの間、鮎・フナ・ドジョウなどの淡水魚をはじめ、鮑・ホヤなどの魚介類、イノシシや鹿などの獣肉でも作られていたようである。文献では、平安時代の「延喜式」(972年)に記された諸国からの貢物に「鮓」「鮨」の文字を見ることができる。

ナレズシは通常約1年かけて発酵させるが、室町時代以降にはせっかちな人々が、半年~1ヶ月の発酵で食べられることを発見。「早熟れ」「生熟れ」がこれで、さらに江戸時代初期には発酵を促進させる材料を混ぜることを思いつく。酒粕・麹・古酒をナレズシにふりかたりしていた。【好奇心が新しい味を作る】

酢飯の誕生

江戸時代中期以降、酢が普及し始めると、「どうせ酸っぱくなるのだったら、酢で酸っぱくしてもいいのでは?」ということで、酢で米に酸味をつけてから押さえる「押し寿司」、紀州のサンマ寿しのような「早寿し」に繋がっていく。押し寿しは上方(大阪)で木の箱に詰めて押す「箱寿し」へと進化していった。

発酵食品、発酵促進でもない「酢飯」の誕生が、延々と続いた発酵寿し文化が「現代の寿司文化」へと移行するターニングポイントとなる。

ナレズシから握り寿しへ

「酢飯」の誕生は、寿しのバリエーションを増やしていった。姿寿し・箱寿し・押し寿しが江戸前の握り寿しへと進化していき、いなり寿し・巻き寿し・ちらし寿しなども考案されていく。もともと発酵食品であった「ナレズシ」は、現在我々が食べている「寿司」へと変貌していったのである。

※一部、文章・図は「魚醤とナレズシの研究/石毛直道 ケネス・ラドル 著」、「江戸前寿司の系譜(味の手帖 2016・1月号)/マッキー牧元 著」より引用。

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